大判例

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横浜地方裁判所 昭和33年(わ)1192号 判決

被告人 秋山和之

大一二・八・一三生 質屋業

主文

被告人を懲役一年に処する。

但し本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある強制執行停止決定正本一通、更正決定正本一通(受送達者上田猷夫)、和解期日呼出状一通、和解申立書副本一通及び郵便送達報告書一通(以上受送達者飯島五郎)、更正決定正本一通及び郵便送達報告書(以上受送達者伊東きよの)、期日呼出状及答弁書催告状一通及び請求に関する異議申立書副本一通(以上受送達者成日煥)(昭和三三年地領第六四〇号の一ないし九)はこれを被害者に還付する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

一、罪となる事実

被告人は質商秋山和吉の長男として出生し、父母の膝下で養育され、法政大学法学部を卒業、現在家業の手伝をしているものであるが、著明なテンカン性変質者であつて、自我が強く執拗で偏執し蒐集癖を持ち激情を発し易い性向が認められ、昭和三二年頃より民事訴訟に熱中するに及んでは、代理人を依頼せず一応の法律知識の下に自ら書類を準備作成して次々と本人訴訟を提起し、横浜簡易裁判所には当事者として屡々出入していたところ、

第一、昭和三三年二月一四日午後二時三〇分頃、横浜市中区日本大通三五番地横浜簡易裁判所民事書記官室内において、同室の机上より、同裁判所書記官藤井俊雄の保管に係る特別送達郵便物五通(いずれも送達前のもので、受送達者成日煥外三名宛強制執行停止決定など決定正本計三通、期日呼出状二通、申立書副本二通等各在中し、各五通の封筒にはいずれも未使用の九五円分の郵便切手が貼付してあるもの)(昭和三三年地領第六四〇号の一ないし九)を窃取し、

第二、同年七月二日午後四時三〇分頃、前記民事書記官室内において、前記藤井書記官より同人の保管に係る横浜簡易裁判所昭和三三年(ト)第二一号株券処分禁止等仮処分申請事件記録(申請人秋山和之、昭和三三年六月三〇日附仮処分申請却下決定あるもの)を一冊を借受け閲覧中、自己の右仮処分申請が却下されたことに憤慨し、突然同所において右記録のとじ紐をほどいた上、同書記官の制止をも聞かず、同記録中より却下決定原本一通を除いてその余の編綴書類全部(仮処分命令申立書一通外右申請の疏明書類計一二通)を抜き取り、これを所持して逃走し、以つて公務所の用に供する文書である右事件記録を毀棄し

たものである。

二、(証拠の標目)〈省略〉

三、弁護人及び被告人の主張に対する判断

(一)  本件各犯行時における被告人の精神状態

弁護人及び被告人は、判示第一の窃盗は被告人がテンカンのため意識朦朧状態下にあつた際行われたものであり、判示第二の公文書毀棄も被告人が憤激してテンカン性朦朧状態若しくは不機嫌症の状態下にあつた際行われたものであつて、本件各犯行当時被告人は心神喪失の状態にあつた旨主張する。

よつて右の点について検討するに、医師竹山恒寿作成の被告人の精神鑑定書及び証人竹山恒寿の当公判廷における供述を綜合すると、被告人は小児期には疳が強く時々嘔気を覚えることがあつたが、一七才頃から瞬間的に茫然とする発作が始まり夜間には急に叫声を発することがあつて、更に二五才頃より夜間就眠中急に叫声を発し体を硬直させ次いで手足を痙攣させる大発作が起り尿失禁を呈すに至り、諸所の病院に通院しテンカンの診断を受け、服薬を続けるように奨められたが被告人は自恣的でこれに従わず、本件のため拘禁中も早朝時に起る強直性、間代性の痙攣の外に嘔気を伴つて茫然となり左手がしびれ突伏していると暫くして回復するという形の小発作が観察され、被告人がテンカンに罹病していることは疑いなく、又著明なテンカン性格を示し、自我が強く執拗で偏執し蒐集癖を有し激情を発し易い傾向のあることが認められ、テンカン性変質者とみられるものである。被告人のテンカンの成因は出生時の鉗子分娩に発した頭部外傷にあるものと推測され、遺残性テンカンの類型に属するテンカン症で、従来大発作及び小発作を経験していることは認められるが、発作の代理症としての精神発作は意識障碍の重篤な朦朧状態、その軽度な周期性不機嫌症いずれもこれを認めるに足りない。

しかして、本件犯行前後の被告人の言動、態度について検討してみるに、先ず判示第一の窃盗のときは、前掲藤井俊雄外二名の被害上申書及び証人小島章の当公判廷における供述によると、被告人は昭和三三年二月一四日午後二時三〇分頃横浜簡易裁判所民事書記官室を訪れ同室内に執務していた小島書記官補と寸時話合つた後謄写用の机に向つて何か用紙に書込んでいたが、そのうち右小島書記官補が弁護士から電話を受け法廷に連絡に赴いたので一人同室内に残つていた。そして、小島書記官補が右連絡を一、二分で終え自室に戻る途中刑事書記官室前辺りの廊下で被告人と出会つたが、その際被告人は急いでいたが格別気分が悪いような変つた点がなく、被告人は北側玄関より出て直ぐ自転車に乗り帰つて行つた姿を右北側廊下を歩いていて眺められたことが認められる。この点につき、被告人は当時の状況について、民事書記官室において記録を謄写中急に嘔気を催し気分が悪くなつたので、裁判所に迷惑を掛けぬ様急いで帰ることにし、持参した六法全書ノート等を風呂敷に包み、この際本件の特別送達郵便物を気付かずに一緒に包み込んだものと思うが、同室を出て北側出入口に置いた被告人の自転車に乗り帰宅しようとしたところ、嘔気が強くてどうしても乗れず、約五、六分外で屈んでいて気分が恢復してから帰宅した旨を述べ、前記認定に反する供述をなしているが、前掲各証拠と対比し被告人の供述を認めることはできない。次に判示第二の公文書毀棄のときは、被告人の検察官に対する昭和三三年七月一〇日附供述調書、藤井俊雄の司法警察員に対する供述調書、証人藤井俊雄の当公判廷における供述、倉田松郎の司法巡査に対する供述調書によると、被告人は昭和三三年七月二日藤井書記官から連絡を受け横浜簡易裁判所民事書記官室を訪れ同年六月二七日被告人の提出した仮処分申請につきこれを却下する旨の決定正本の交付を受けてその決定理由を見たが被告人に納得がゆかず種々不満を述べた上藤井書記官に対し疏明資料を追加すれば右却下決定を撤回して貰えるかとか、却下の理由が疏明資料の不足にあるなら電話で一言連絡してくれれば追加したなどと言い、同書記官がそのようなことは答える筋合のことでないと返答して押問答になつたところ、被告人は立腹してこの資料は又申請するときに必要だから貰つてゆくと言つて記録中から被告人の提出した書面及び資料全部を抜取り、同書記官等から書類を持ち去ると法に触れる旨警告制止されたが、刑事処分でも何でも結構だ警察でも何処でも行くと言つてこれを肯き入れず右書類を持ち帰つたことが認められる。右認定に反する被告人の「自分が提出した仮処分申請が却下されたことに憤慨してやつたものではない。書式を見て貰うつもりで藤井書記官に個人的に預けたものを正式に受理されて了い、却下された旨電話で通知されたので、以上のような経緯について憤慨したものである。記録に手を着けたときは既に意識が正常でなく朦朧となつていた」旨の供述は採ることができない。

以上の状況から判断すると、各犯行時における被告人の精神状態はテンカンの大発作、小発作及び朦朧状態になかつたことは勿論周期性不機嫌症の状態にもなかつたもので、この点前掲鑑定書の鑑定主文のとおりである。ところで、竹山証人も指摘しているように、判示第二の公文書毀棄の犯行時にあつては、被告人が不快感情に基ずき激情を発していたという事実があり、これと被告人の前示テンカン性格との結びつきが問題であるけれども、一般にテンカン性変質者が激情を発した状態にあるときこれを一種の精神障碍にあるものとして理非弁別ないし抑止の能力に相当の減弱あるものと解することは相当と思われるが、被告人の犯行前から書類を持ち去るまでの言動をもとに考察してみると、被告人の右犯行時における理非弁別ないし抑止の能力に減弱のあつたであろうことは疑いないが、右能力を全く欠如し又は著しく減弱していたものとは認められない。従つて、法律上心神喪失又は心神耗弱の状況にあつたものとは謂えないから、弁護人及び被告人の右の主張は採用できない。

(二)  窃盗の犯意について

被告人は第一の窃盗について特別送達郵便物を自宅に持ち帰つたことは認めているが不法領得の意思がなかつた旨主張するので、この点について判断する。

被告人は当時嘔気を催しテンカン症状になつたので特別送達郵便物を無意識裡に自己の所持品と共に風呂敷に包み込み持ち帰つて了つたものであり、右郵便物は金銭に替え得るものでなく二月一四日その日に限り窃盗の犯意を起すわけはないと弁解しているが、右犯行当時被告人がテンカン性の発作を起していなかつたことは前記認定のとおりであり、当時の状況からして誤つて風呂敷包に一緒に包み込んだということは考えられないことと、本件郵便物が金銭的価値がないから領得の意思を持つものでないとの点については、検察官作成の差押調書、被告人の検察官に対する昭和三三年七月二一日附、同年八月二五日附各供述調書によると、被告人方自宅を捜索した際法政大学用箋一冊、法政大学通学証明書等一箱、研修三冊、法曹五冊等を発見差押えており、これらはいずれも被告人が保管していたものであつて、研修及び法曹は横浜区検察庁より無断で持ち帰つた品であるから、その動機については被告人自身は容易く説明し得てないところ、前掲鑑定書により認められる被告人のテンカン性格のうち蒐集癖の発現と解するのが相当であつて、本件窃盗の所為も右と軌を一にするものと認められ、加えて、証人藤井俊雄の当公判廷における供述によると、郵便物が紛失した当日被告人に対しても電話で持物と一緒に紛れ込んでいないか調べて欲しいと申入れたが、被告人は別に紛れ込んでいない旨返事したことが認められるところ、通常自己の過誤に基ずく行為が発覚した際は直ちにその旨を表明して謝意を述べるのが常識であり且つそれで事件は過失責任を問われる場合を除き無事落着するものであるから、被告人においてもその弁解の如くに過つて不知の間に郵便物を自宅に持参したものであるならば直ちにその旨を告げて返還すべきであると思われるのに、右の如き所為に出ないで却つてこれを秘匿したことは、被告人に当初より領得の意思があつたことを推測させるものであつて、以上の諸点を綜合すると被告人に窃盗の犯意の存したことを認めるに充分である。

四、情状について

本件は被害者が裁判所職員(広義の裁判所)であり、その被害物件が裁判事務上重要な訴訟記録及び訴訟関係書類であるところに特殊性が認められ、一般論としては、裁判事務に重大な支障を来す虞のある犯罪であるから、その犯人に対しては厳重な態度を以て臨む必要のあることは充分考慮せねばならないところである。飜つて本件についてみるのに、前記認定のとおり被告人はテンカンの持病を有し時折発作を経験する外に著明なテンカン性の異常性格を帯びており、現在通院治療中であつて、平素においても理非弁別の能力が完全に保持されているものとは言えない状況にあり、本件犯行では、被告人の偏執的性格が一種の訴訟狂として表われ裁判所に始終出入して専門的の法律知識の不足にも拘らず書類を作成し訴訟を通して病的な自己主張の満足に向つていたことがその間接的な要因になつていると共に、被告人の激情を発し易い性格及び蒐集癖というテンカン性人格欠陥が直接的な要因になつていること、そして本件犯行時における被告人の精神状態が判示せる如く心神耗弱とは認められないが弁別抑止の能力が相当減弱していたものと解される状況にあつたことを合せ考えるとき、被告人の刑事責任の軽重を判断するに当つては、被告人のテンカン症及び異常性格が今後尚継続することが予想されるから、将来鎮痙剤、鎮静剤等の連続服用その他適当な医療措置を受けなければ、犯罪への危険性がないとは言えないことも考慮されねばならないが、被告人の異常性格が幼少の頃からの持病であるテンカンに負因しており、その性格形成の責任を被告人に帰することが困難であることを考慮し、被告人を正常人としてでなく一種の精神障碍者として処遇するのが相当であると認め、主文のとおり量刑処断することとしたわけである。

五、法令の適用

法律に照すと、被告人の判示第一の所為は刑法第二三五条に、判示第二の所為は同法第二五八条に該当するところ、右は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により重い第一の窃盗罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で、被告人を懲役一年に処し、なお前示の情状を考慮し、同法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予することとし、押収物(昭和三三年地領第六四〇号の一ないし九)の被害者還付につき刑事訴訟法第三四七条第一項、訴訟費用の負担につき同法第一八一条第一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木照隆)

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